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ひとつのめばえ
一つの芽生
宮本 百合子
「新日本」1918(大正7)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,627 字 · 29 页
そして、暫く見ていたが、やがて小さい声でオヤと云った。
「道男さん、熱があるんじゃあないかえ」
と云いながら、すかすように首を曲げて、卓子(テーブル)の一番端に頬杖(ほおづえ)を突いている彼の顔を見た。
「僕? 熱なんかありゃあしない」
「でも大変赤いよ。ちょっとこっちへ額を出してごらん」
「いいったら、おかあさま。僕熱なんかありゃあしない!」
彼は、自分の方へ注意を牽(ひ)かれている者たちを見廻して、一層顔を赤めながらまるで怒ったような声で否定した。
母のいうことにはいつも素直な彼が、そんなにむきになって云い張るには訳があった。
十月の三日から、日光へ学校からの旅行があるのだけれども、夏時分から脚気で心臓も悪かった彼は、家じゅうの者にとめられた。けれども、ぜひ行きたいと云うので、四五日前医者へ行って診断してもらった結果、ようよう渋々ながら許しを得たばかりのところなのである。
彼が、どうぞ出発までどこもわるくなりませんようにと一生懸命注意していたと同じ程度に、私共は子供のあさはかから万ケ一故障のあるのを隠しはしまいかということに注意していたのである。それ故、折角行かれると思ったのに、ここで止められては大変だと思っているようすを、明かに表示する執拗さと頑固さで彼は断然と熱を計ることをこばんだ。