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みっつの「おんなだいがく」
三つの「女大学」
宮本 百合子
「婦人公論」1940(昭和15)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,822 字 · 14 页
という立場に立って、福沢諭吉は、十九ヵ条の一つ一つについて、反駁している。「女子の身に恥ず可きことは男子に於ても亦恥ず可き所のものなり」「男女を区別したるは女性の為に謀りて千載の憾と云うも可なり」そして、例えば「七去」についても、民法の条文を引用して、離婚が「女大学」にいわれているような条件で成り立つべきでないことを説明している。益軒の「女大学」は、あらゆるところで、女は夫に仕えて云々という表現をしているのだが、福沢諭吉の開化の心は、主従関係、身分の高下をあらわしたそういう表現が夫婦の間にあることに耐え得ない。「我輩の断じて許さざるところなり」「婦人をして柔和忍辱の此頂上にまで至らしめたるは上古蛮勇時代の遺風、殊に女大学の教訓その頂上に達したるの結果に外ならず」夫婦の生活で夫が妻を扶養するのは当然の義務だのに、妻たるものがわずかの美衣美食に飼い馴らされて人としての権利さえ自分から捨てている愚を、福沢諭吉は社会全体の進歩というところから痛歎している。「夫婦苦楽を共にするということは努々等閑にさるべきことではない」のだから、ことこれに関しては、議論して争うことも避けがたく「是れが為に凡俗の耳目を驚かすことあるも憚るに足らざるなり。