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ちぶさ
乳房
宮本 百合子
「中央公論」1935(昭和10)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,932 字 · 56 页
「ポートラップって、私、洋酒だとばっかり思ってたら――ちがうんだね」
或る晩のことであった。タミノが電燈を低く下げて靴下の穴つくろいをしながら、
「私、いまにここかわるようになるかもしれない」
独言のように云った。それは風のひどい晩で、ひろ子も同じ電燈の下へ机を出して会計簿を調べていた。顔もあげず数字をかきつづけながら、ひろ子はごく自然な気持で、
「ふーん」
とタミノの言葉をうけた。
「どこか、うまいところがありそうなの?」
タミノは三月ばかり前、山電気を組合関係で馘首になるまで、ずっと工場生活をして来ていた。組合の書記局へおいでよって云われたけど、私、職場の方が好きだ。また入りこむよ、そう云って、一時ここを手伝っているのであった。
下を向いて、こんぐらかった糸を不器用に、若々しい粗暴さで引っぱりながらタミノは、
「まだはっきりしないんだけどね」
間をおいて、
「臼井さん、待ってたのがやっとついたって、とてもよろこんでる……」
ひろ子は思わず首を擡げ、下を向いているタミノを見ながら、ペンをもっていない方の指で自分の下唇をゆるゆると捩るような手つきをした。タミノはやっぱり顔をつくろいものの上にうつむけたままでいる。