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ごじゅうねんだいのぶんがくとそこにあるもんだい

五〇年代の文学とそこにある問題

宮本 百合子

「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社、1979(昭和54)年11月20日初版発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,472 字 · 50 页

青空文庫

中野好夫に意見と発表の自由に対する権利を十分発揮させなかったのは、彼の「私小説」否定のコンプレックスである。私小説の否定論そのものの本質、展望が、現在のところではまだ歴史性に立って確信的に把握されていないからであろうと思われる。

同じことが、同じ原因で三好十郎の「小豚派作家論」にあらわれていると思う。彼独特の発声法で、中間派作家とその作品を罵倒しながら、最後には、ひいきの尾崎一雄を、その「『アミ』がいくらか古めかしく」純粋になってしまって現代生活の流れに浮いた「アクタモクタの全部は尾崎のアミに引っかからなくなっている」という不平はとなえた方がよい、としている。はためにみれば、そもそも文学をはずれて繁栄している中間小説と、私小説がひとしお煮つまって一種のエッセイ風の作品となっている尾崎一雄の文学とを同列に語ることさえ、謂わば荒っぽいセンスである。「私小説の否定」というきょうの文学のやわたしらずの中で、三好十郎もまた吐くのは反吐という姿にある。「では誰のアミが現代のアクタモクタをホントにしゃくいあげることができるだろう? 田村泰次郎のアミがそれだなどと言う人があったら、失礼ながら私はひっくりかえって笑わなければならぬ云々」