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いまどしんじゅう

今戸心中

広津 柳浪

「文芸倶楽部」1896(明治29)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,688 字 · 74 页

青空文庫

店梯子を駈け上る四五人の足音がけたたましく聞えた。「お客さまア」と、声々に呼びかわす。廊下を走る草履が忙しくなる。「小万さんの花魁、小万さんの花魁」と、呼ぶ声が走ッて来る。

「いやだねえ、今時分になって」と、小万は返辞をしないで眉を顰めた。

ばたばたと走ッて来た草履の音が小万の室の前に止ッて、「花魁、ちょいと」と、中音に呼んだのは、小万の新造のお梅だ。

「何だよ」

「ちょいとお顔を」

「あい。初会なら謝罪ッておくれ」

「お馴染みですから」

「誰だ。誰が来たんだ」と、西宮は小万の顔を真面目に見つめた。

「おほほ――、妬けるんだよ」と、吉里は笑い出した。

「ははははは。どうだい、僕の薬鑵から蒸気が発ッてやアしないか」

「ああ、発ッてますよ。口惜しいねえ」と、吉里は西宮の腕を爪捻る。

「あいた。ひどいことをするぜ。おお痛い」と、西宮は仰山らしく腕を擦る。

小万はにっこり笑ッて、「あんまりひどい目に会わせておくれでないよ、虫が発ると困るからね」

「はははは。でかばちもない虫だ」と、西宮。

「ほほほほ。可愛い虫さ」

「油虫じゃアないか」

「苦労の虫さ」と、小万は西宮をちょいと睨んで出て行ッた。