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いまどしんじゅう
今戸心中
広津 柳浪
「文芸倶楽部」1896(明治29)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,688 字 · 74 页
「もう何時になるんかね」と、平田は気のないような調子で、次の間のお梅に声をかけた。
「もすこし前五時を報ちましたよ」
「え、五時過ぎ。遅くなッた、遅くなッた」と、平田は思いきッて帯を締めようとしたが、吉里が動かないのでその効がなかッた。
「あッちじゃアもう支度をしてるのかい」
「はい。西宮さんはちッともお臥らないで、こなたの……」と、言い過ぎようとして気がついたらしく、お梅は言葉を切ッた。
「そうか。気の毒だッたなア。さア行こう」
吉里はなお帯を放さぬ。
「まアいいよ。そんなに急がんでもいいよ」と、声をかけながら、障子を開けたのは西宮だ。
「おやッ、西宮さん」と、お梅は見返ッた。
「起きてるのかい」と、西宮はわざと手荒く唐紙を開け、無遠慮に屏風の中を覗くと、平田は帯を締め了ろうとするところで、吉里は後から羽織を掛け、その手を男の肩から放しにくそうに見えた。
「失敬した、失敬した。さア出かけよう」
「まアいいさ」
「そうでない、そうでない」と、平田は忙がしそうに体を揺すぶりながら室を出かけた。
「ああ、ちょいと、あの……」と、吉里の声は戦えた。
「おい、平田。何か忘れた物があるんじゃアないか」