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きずあとのはいけい

傷痕の背景

豊島 与志雄

「中央公論」1929(昭和4)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,022 字 · 38 页

青空文庫

」

変な挨拶である。その裏の気持を読み取ろうとして、杉本は、相手の顔色に眼をつけた。有吉は眼を外らして、書棚に並んでる、和洋雑多な書籍を物色し初めた。

バラックとも云ってよいほどの、粗末なアパートの、和洋折衷の室である。四角な区劃、それが、入口の控室で切取れ、押入で切取られ、下が三尺の戸棚になってる床あきで凹み、奥の室に通ずる襖、硝子戸の六尺の窓……。片隅に机を据えて、その横で……。主客とも、何だかその処を得ないような様子である。杉本は、不器用な手附で、茶と菓子とをすすめ、有吉は、書棚の方へにじり寄っていた。

「ほう、随分多方面なものが……。クロポトキン……明快な論理だそうですね。」

「少し集めていますが、隙が出来たら読んでみるつもりです。」

「アナトール・フランス……面白いですか。」

「それも、まだ読んでいないんです。」

「マジー……と、魔法ですか。これは愉快でしょう。」

「それも、実はまだ……。」

「…………」

ちぐはぐな問答が続く……。

有吉は坐り直して、渋茶をすすった。

「君は、自由に研究が出来て、羨しいですね。僕なんか、隙がないものだから……。それで、ロシア通の話を聞けば、労農政府に同感してくるし、イタリア通の話を聞けば、黒シャツに同感してくるし、去就に迷う始末なんで……は、は、はっ……。