轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
『りゅうせいがしゅうおよびげいじゅつかん』について
『劉生画集及芸術観』について
和辻 哲郎
「中央美術」1921(大正10)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,678 字 · 10 页
の意義が量から質に、物質から意味価値に移されるとき、たちまちに脱却せられる。で君は、一般の人にわかってもらえない淋しさが「美への奉仕」を理解することによって追い払われることを説く。「美術家は個人に奉仕するよりも、美に奉仕すればいいのだ。一般の人に通じると否とにかかわらず、ただ人類の美の事業に役に立つのか否かという事が大切なのだ」という。ここに「人類」は明らかに一つの理念として意味せられている。それはなお岸田君の「自然」の考え方によっても裏づけられる。自然はそれ自身には「心なき物質」である。価値なき存在である。ただ人間の「心」のみが「世界じゅうで盲目からさめた唯一の存在」であって、あらゆる価値はそこから生み出される。自然において人間が美を感ずるのは人間が自らの内にある美を自然物に投げかけるからである。すなわち自然の美とは、「無常無情の自然物と人間の心とが合致して生まれた暖かき子供」である。人は自然において美を感ずる瞬間に、すでに自ら「製作」しているのである。この考えを押し進めて行けば、同じ事が人間自身の肉体についても言えるであろう。肉体それ自身は自然物であって価値がない。