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ちよじのおどろき

千代次の驚き

豊島 与志雄

「文学界」1934(昭和9)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,413 字 · 19 页

青空文庫

そうしたことにふと気がついて、ばかばかと自分に云いながら、よその家の戸口によりかかって、溜息をついて、なんて自分はばかなんだろう、こんなでどうなるんだろうと、心の中でくり返していますと……向うから、せのひょろりとした男が、黒いマントを引きずるように着て、黒い帽子をかぶって、黒い襟巻で頬をつつんで、薄暗い通りに眼をじっと据えて……どうも、村尾さんらしいんです。あたし、いちどに息をつめ、近眼の眼をみはり、じっと待ち受けて、側まで来ると、つかつかと出ていってやりましたが、村尾さんと眼を見合ったとたんに、気が遠くなりました。何か声がして、それからしいんとなって、どれくらい時間がたったか……やがて、がやがやした人声が耳についたので、眼をあいてみると、あたしはそこに一人しゃがみこんでいて、向うから、芸者衆が四五人、お客さんをとりまいて、だらしなく酔っぱらってやってきます。あたしはむちゅうで馳けだして、家の戸を引きあけて、とびこんでいきました。

まだ起きて待ってた松若さんが、すっとんきょうな声を立てました。あたしの様子がよっぽどへんだったにちがいありません。だけどあたしはもう、そんなことにとんちゃくなく、二階の室にかけあがって、ふとんの上にきちんと坐って、物に憑かれたような気持で、じっとしていました。