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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

さては油屋かな永楽屋かな。いいお客があると見える。油屋とするとお北めも、雑っているに相違ねえ」

甚三はじっと考え込んだ。やがてカラリと箸を置くと、フラリと立って土間へ下り、草履をはくとのめるように、灯の明るい町へ引かれて行った。

お霜は茫然坐っていたが、やがてシクシク泣き出した。聞くことも出来ずいうことも出来ない、天性の唖ではあったけれど、女の感情は持っていた。可愛がってくれた甚内が、遠い他国へ行ったことも兄の甚三がお北という、宿場女郎に魅入られて、魂をなくなしたということも、ちゃんと心に感じていた。それがお霜には悲しいのであった。

出合い頭にいきあった二人

絹商人の千三屋は、ザッと体へ拭いを掛けると、丸めた衣裳を小脇にかかえ、湯殿からひょいと廊下へ出た。とたんにぶつかった者があった。「これは失礼を」「いや拙者こそ」双方いいながら顔を見合わせた。剣酸漿の紋服を着た、眼覚めるばかりの美男の武士が、冷然として立っていた。

「とんだ粗忽を致しまして、真っ平ご免くださいまし」いい捨て千三屋は擦り抜けたが、十足ばかりも行ったところで、何気ない様子をして振り返って見た。