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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

いつもと異う歌の節

頼んで置いた甚三が、馬をひいて迎えに来た、それに跨がった甚内がいた。北国街道を北へ向け、桝形の茶屋を出かけたのは、それから間もなくのことであった。

間もなく追分を出外れた。振り返って見ると燈火が、靄の奥から幽かに見えた。

「旦那様」と不意に甚三がいった。「いよいよご出立でございますかな」

「うん」と甚内は冷やかに、「追分宿ともおさらばだ」

「永らくご滞在でございましたな」「意外に永く滞在した」「旦那様と私とは、ご縁が深うございますな」「縁が深い? それはなぜかな?」「宿までご案内致しましたのはこの甚三でございます」「そうであったな。覚えておる」「お送りするのも甚三で」「そういえば縁が深いようだ」「ご縁が深うございます」「ところで甚三われわれの縁は、もっと深くなりそうだな」

「え?」といって振り返った時には、甚内は口を噤んでいた。押して甚三も尋ねようとはしない。カパカパという蹄の音、フーフーという馬の鼻息、二人は無言で進んで行った。

「甚三、追分を唄ってくれ」しばらく経って甚内がいった。

「夜が深うございます」

「構うものか、唄ってくれ」