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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

「私の声は甲高で、宿まで響いて参ります」「構うものか、唄ってくれ」「よろしゅうございます、唄いましょう」

やがて甚三は唄い出した。夜のかんばしい空気を通し、美音朗々たる追分節が、宿の方まで流れて行った。

「甚三の追分が聞こえて来る。はてな、いつもとは唄い振りが異う。……うまいものだ、何んともいえぬ。……今夜の節は分けてもよい」

こういったのは銀之丞であった。

本陣油屋の下座敷であった。彼は相変らず寝そべっていた。鼓が床の間に置いてあった。

「おい平手、行って見よう」銀之丞は立ち上がった。

「何、行って見よう? どこへ行くのだ?」

千三屋相手に碁を囲んでいた、平手造酒は振り返った。

「追分を聞きにだ、行って見よう」「今夜に限って酷く熱心だな」「いつもと唄い振りが異うからだ」「そいつはおれには解らない」「行って見よう。おれは行くぞ」「何に対しても執着の薄い、貴公としては珍らしいな」「だんだん遠くへ行ってしまう。おいどうする、行くか厭か?」「さあおれはどっちでもいい」「おれは行く。行って聞く。後からこっそりついて行って、堪能するまで聞いてやろう」「全く貴公としては珍らしい。