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トソンラン

土城廊

金 史良

「文芸首都」1940(昭和15)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,752 字 · 52 页

青空文庫

婦と炳吉は咄嗟に転げるように飛び出した。間に合わなかった。ぶすっという水の音が聞えたきりである。

「元三爺! 元三爺!」

それらしいものがもはや数間先を流されている。婦は叫びながら岸伝いに走る。炳吉はばたばた流れに足をつけて追駆けた。爺は山男で水は知らないのだ。まだ岸から幾らも離れていないので、時々足を地べたに突き附けて起ち直ろうとしてはばたばたする。何か叫ぼうとしているようでもある。う、う、う、悲鳴を上げた。その拍子に水をがぶがぶ呑まされるのに違いない。だが確かに幾声か聞き取れたのである。

「姐……さん……逃げ逃げろ……う、う」

「元三爺、元三爺!」婦はあらん限りの声を張り上げながら駆けて行く。時々辷りこけたりのめったりする、どたりと倒れては又起き上った。

「う、う……」

「元三爺、しっかりするだよう、元三爺!」

「う、逃げ……逃げろ……」

喉苦しい声はそれきり聞えなくなった。水は赤く河は黒かった。何度か白いものが浮んで見え又消えながら、ますます深い所へ巻き込まれるように流されて行く。渦巻く濁流はべろりと舌を舐めずっていた。婦はそれでもよろめきながら死物狂いでついて走った。