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しおばな

塩花

豊島 与志雄

「世界」1946(昭和21)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,421 字 · 25 页

青空文庫

「まるで、風儀の問題のようですな。」と先刻の燐酸の先生が大笑した。

その笑いに応ずるかのように、佐竹が言った。

「貞節なんかよりも、忿怒でしょう。現在、何物かに忿怒を感じてるかどうかによって、犯罪人であるか否かが決定されると思いますね。」

そして彼が言うところによれば、これまでの偽瞞に対して忿怒を感じてる者は無罪で、忿怒を感じない者は有罪だった。その説には何か痛烈なものがあった。然し、誰も問題に深入りしたがらなかった。故人波多野氏は怒り易かったと、変なところへ話がそれた。

故人の思い出やその頃のことが話題になった。そして一座の空気は和やかなものになった。ビールの酔いも加わってきた。

山口は故人と面識がなく、追憶の話に興味も覚えなかったので、そっと席を立った。

襖を開け放した隣室で、故人と真の親友であった井野氏が、広間の話などには全く無関心に、或る青年と碁をうっていた。この痩身長躯の篤学者は、日本服の着流しにあぐらを組み、ビールを数本ひきつけて、飲みながら碁に夢中になっていた。

山口は暫く碁を眺めた。それから外を眺めた。朝のうち切れぎれに浮んでいた雲は、四方の地平線に低く沈んで、上空は遙けく青く、庭の木の葉に斜陽が輝いていた。