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よるのくつ

夜の靴

横光 利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页

青空文庫

「どうでしたお米。」と妻は笑顔でよって来て訊ねた。

「米のことは、おれは知らん。気持ちじゃ。」

「そうだと思ったわ。」妻はがっかりした風で、もうあきれたらしい。こういうことのみならず、私はどこか阿呆なところがあって、戦争中はひどく皆を困らせたが、見ていると、私の妻もまたそうだ。

「お前がいえば良いだろう。そんな米のことは、女のすべきことじゃないか。」

「お米のことは、男のするべきことですよ。どこだってそうだわ。」

「そんな男ろくな奴か。」

「だって、Sさんのようなお豪い方でも、自転車でいらしたというじゃありませんか。」

云うかもしれないな、と私の思っていたことをまたうまく云い出したものだと、私も弱った。S氏は文壇の老大家で私の尊敬している作家だが、その人が知人の若いM君の所へ自転車で米借りに乗りつけられたというリュック姿のことを、M君から聞いた折、私はその直截的な行為に自分を顧みて感服したことがあった。

「闇左衛門とM君とは違うからな。」と私は苦しく云った。

「どうしましょう、ほんとうにもうないわ。」

米櫃の蓋をとって枡で計ってみている妻の手つきがかたかた寒い音を立てている。