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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
うす紫の鳥海山を背にし、あばは光った鎌の刃で駅の方をさした。
「あっちか。」
「そうだ。」と私は頷いた。この村で向うから話しかけてくる人は、この五十すぎの農婦だけだ。この寡婦は変人で嫌いなものには傍にいても言葉一つかけないそうだが、蝗の飛ぶ中から呼ばれる気持ちは、日を仰ぐように明るく爽爽しい。しばらくは、後から稲の穂波がまだ囁きかけ追っかけて来るような余韻を吹かせてくる。
十月――日
寝ながらあちこちで話す村人の会話を聞いていると、このあたりの発音は、ますますフランス語に似て聞える。この谷間だけかもしれないが、意味が分らぬからフランスの田舎にいるようで、私はうっとりと寝床の中で聴き惚れている。私の妻に云わせると、この村の言葉はこの国でも特殊な発音だとのことだが、まことにリズミカルで柔かい。起き出して夢破れるのはいやだから、なるべく、このような朝は朝寝をして、ここだけめぐる山懐にフランスが落ち溜っている愉しみで、じっと耳を澄ませている。人人の中でも宗左衛門のあばと参右衛門の発音が、一番フランス語に近い。
妻は真暗なうち一番の汽車で鶴岡へ出かけて行っていない。