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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
今日は煙草をどうかして手に入れたいと思い、私も鶴岡の多介屋へひとつ行って、本物の煙草を一ぷく喫ってみたくて堪らなくなると、跳び起きた。三番は十一時だ。
三時ごろ多介屋本店へ着いた。主人の佐々木君が不在である。しばらく主人の帰りを店さきに腰かけて待っていると、入れ代り立ち代り本買いの客が来る。沢山なその中に混って一人、いつ来たのか、うすい丹前を着た、すらりと蒼い浪人風の品のある男が立って棚の本を眺めている。横から見ると、どう見てもA君だが、Aがまさかこんな鶴岡あたりに今ごろ来ている筈もないので、どうしているか今ごろは、定めし国の敗れたことを歎き悲しんでいることだろう。そう思っていると、やはりA君だった。彼は私を見つけて愕いたらしかったが、前からこういうときでも少しも表情に顕れない彼だった。すッと進んで来ていう。彼はある種の武術の習練者である。
「お元気で何よりでした。」
「ああ、実に珍らしいところで会ったもんだ。どうしました?」
一ヵ月前から来ていること、ここで新妻を貰ったこと、沢山あった東京の彼の持ち家が全部焼けたことなどA君は語ったが、いつか私に話した米の生命力の予言の的中したことだけは一言も云わなかった。