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よるのくつ

夜の靴

横光 利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页

青空文庫

私はそれを振り仰いで伊藤博文に似た貌の和尚に訊ねると、長男で電信員として台湾へ出征中、死亡の疑い濃くなって来ているとの事である。すでに私は大きな悲劇の座敷の中央にいつの間にか坐っていたのだ。

「しかし、台湾なら、まだ……」

と、私が云いかけると、

「いや、途中の船でやられたらしいのです。調べて貰いましたがね、もう駄目なようでした。」

朝からの若やいだ私の気持ちが急にぺたんと折れ崩れて坐った。背面の山のなだれが背に冷え込むのを覚え、襲って来ている若い時代が傷つき仆れた荒涼とした原野の若木に見えて来た。今さらここで何の批評の口を切ろうとするのだろう。私はもう昨日の深夜、雪を掘り起した底から格調ある歌を聞いてしまっている。あれが時を忘れた深夜の清江の祈りではなかったか。

谷間から暗く夕暮れが来て人も揃った。私の横に村長、その横が前村長、順次に左右へ農会の技師、みなで十人ばかりの人たちだが、寒さは寺の畳の冷えからではなさそうだった。公益を重んじて来た老人たちの眼の冴え光っている慎しさに、しばらく部屋が鳴りをひそめ焙る手さきだけ温かい。そのうち膳部が出た。一番悲しみの深い菅井和尚が一番暢気な笑いを立てて、適当な話を出しているが、地平より高く巻き返して来ている災厄の津浪を望んで、目下の方寸誰が何を云えようか。