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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
吉田橋架け替えの工事も始まっていて、神奈川から横浜の方へ通う渡し舟も見える。ある日も寛斎は用達のついでに、神奈川台の上まで歩いたが、なんとなく野毛山も霞んで見え、沖の向こうに姿をあらわしている上総辺の断崖には遠い日があたって、さびしい新開地に春のめぐって来るのもそんなに遠いことではなかろうかと思われた。
時には遠く海風を帆にうけて、あだかも夢のように、寛斎の視野のうちにはいって来るものがある。日本最初の使節を乗せた咸臨丸がアメリカへ向けて神奈川沖を通過した時だ。徳川幕府がオランダ政府から購い入れたというその小さな軍艦は品川沖から出帆して来た。艦長木村摂津守、指揮官勝麟太郎をはじめ、運用方、測量方から火夫水夫まで、一切西洋人の手を借りることなしに、オランダ人の伝習を受け初めてからようやく五年にしかならない航海術で、とにもかくにも大洋を乗り切ろうという日本人の大胆さは、寛斎を驚かした。薩摩の沖で以前に難船して徳川政府の保護を受けていたアメリカの船員らも、咸臨丸で送りかえされるという。その軍艦は港の出入りに石炭を焚くばかり、航海中はただ風をたよりに運転せねばならないほどの小型のものであったから、煙も揚げずに神奈川沖を通過しただけが、いささか物足りなかった。