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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
」
こんな言葉を残した。
客を送り出して見ると、寛斎は一層さびしい日を暮らすようになった。毎晩のように彗星が空にあらわれて怪しい光を放つのは、あれは何かの前兆を語るものであろうなどと、人のうわさにろくなことはない。水戸藩へはまた秘密な勅旨が下った、その使者が幕府の厳重な探偵を避けるため、行脚僧に姿を変えてこの東海道を通ったという流言なぞも伝わって来る。それを見て来たことのようにおもしろがって言い立てるものもある。攘夷を意味する横浜襲撃が諸浪士によって企てられているとのうわさも絶えなかった。
暖かい雨は幾たびか通り過ぎた。冬じゅうどこかへ飛び去っていた白い鴉は、また横浜海岸に近い玉楠の樹へ帰って来る。旧暦三月の季節も近づいて来た。寛斎は中津川の商人らをしきりに待ち遠しく思った。例の売り込み商を訪ねるたびに、貿易諸相場は上値をたどっているとのことで、この調子で行けば生糸六十五匁か七十匁につき金一両の相場もあらわれようとの話が出る。江州、甲州、あるいは信州飯田あたりの生糸商人も追い追い入り込んで来る模様があるから、なかなか油断はならないとの話もある。神奈川在留の外国商人――中にもイギリス人のケウスキイなどは横浜の将来を見込んで、率先して木造建築の商館なりと打ち建てたいとの意気込みでいるとの話もある。