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よあけまえ

夜明け前

島崎 藤村

01 第一部上

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页

青空文庫

「万屋さんも、だいぶごゆっくりでございますね。」

と牡丹屋の亭主は寛斎を見に裏二階へ上がって来るたびに言った。

三月三日の朝はめずらしい大雪が来た。寛斎が廊下に出てはながめるのを楽しみにする椎の枝なぞは、夜から降り積もる雪に圧されて、今にも折れそうなくらいに見える。牡丹屋では亭主の孫にあたるちいさな女の子のために初節句を祝うと言って、その雪の中で、白酒だ豆煎りだと女中までが大騒ぎだ。割子弁当に重詰め、客振舞の酒肴は旅に来ている寛斎の膳にまでついた。

その日一日、寛斎は椎の枝から溶け落ちる重い音を聞き暮らした。やがてその葉が雪にぬれて、かえって一層の輝きを見せるころには、江戸方面からの人のうわさが桜田門外の変事を伝えた。

刺客およそ十七人、脱藩除籍の願書を藩邸に投げ込んで永の暇を告げたというから、浪人ではあるが、それらの水戸の侍たちが井伊大老の登城を待ち受けて、その首級を挙げた。この変事は人の口から口へと潜むように伝わって来た。刺客はいずれも斬奸主意書というを懐にしていたという。それには大老を殺害すべき理由を弁明してあったという。

「あの喜多村先生なぞが蝦夷の方で聞いたら、どんな気がするだろう。