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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
牡丹屋の亭主の計らいで、別れの盃なぞがそこへ運ばれた。安兵衛は寛斎の前にすわって、まず自分で一口飲んだ上で、その土器を寛斎の方へ差した。この水盃は無量の思いでかわされた。
「さあ、退いた。退いた。」
という声が起こった。廊下に立つ女中なぞの間を分けて、三つの荷が二階から梯子段の下へ運ばれた。その荷造りした箱の一つ一つは、嘉吉と宿の男とが二人がかりでようやく持ち上がるほどの重さがあった。
「オヤ、もうお立ちでございますか。江戸はいずれ両国のお泊まりでございましょう。あの十一屋の隠居にも、どうかよろしくおっしゃってください。」
と亭主も寛斎のところへ挨拶に来た。
馬荷一駄。それに寛斎と宰領とが付き添って、牡丹屋の門口を離れた。安兵衛や嘉吉はせめて宿はずれまで見送りたいと言って、一緒に滝の橋を渡り、オランダ領事館の国旗の出ている長延寺の前を通って、神奈川御台場の先までついて来た。
その時になって見ると、郷里の方にいる旧い弟子たちの思惑もしきりに寛斎の心にかかって来た。彼が一歩踏み出したところは、往来するものの多い東海道だ。彼は老鶯の世を忍ぶ風情で、とぼとぼとした荷馬の※沓の音を聞きながら、遠く板橋回りで木曾街道に向かって行った。