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おうしゅうにおけるみたちふじわらし
奥州における御館藤原氏
喜田 貞吉
「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页
四 頼朝奥州征伐の顛末
しかしてそれは「夷之地」なるがためであった。もって当時の形勢を知ることが出来よう。
四 頼朝奥州征伐の顛末
奥羽の地はかつて坂上田村麻呂征夷の偉勲により、今の岩手県の北部から青森県の東南部、すなわち爾薩体から都母にまで皇威を耀かしたのであったけれども、その後、夷族再び勢力を恢復して、北部地方はいつしかその手に落ちたものと見えて、延喜の「民部式」収むるところ、陸奥国府の所管は北方気仙・胆沢・江刺の地方に限られ、和賀・稗貫・紫波・岩手・閉伊等、今の岩手県の大部分は、もはや国司所管の外に置かれたのであった。最も延喜の「神祇式」には斯波郡内の官社一社が載せられてあるが、これはおそらく古い「神名帳」のままを収録したもので(「延喜神名帳」は他にも往時のまま改めざる証少からず)、当時の実際ではない。したがってこのことは、かえってかつては少くも紫波(斯波)の地方までも国司の治が及んでいたのが、延喜のころにはそれが夷地に落ちて、もはや「民部式」から除かれた証拠にもなるべきものである。
かくてこの和賀以北、稗貫・紫波・岩手諸郡の地を領した俘囚長たる安倍氏が、次第に勢力を南に及ぼして『延喜式』