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おんなごころしゅうい

女心拾遺

矢田 津世子

「文学界」1936(昭和11)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,514 字 · 36 页

青空文庫

一

常は無駄口の尠い唐沢周得氏が、どうしたはずみか、この数日来妙に浮きたって、食事の間も駄洒落をとばしたりしては家人を笑わせたりする。もともと脂肪肥りの血色のよい膚が、こんな時には、磨きをかけたように艶光りして、血糸の綾がすけてみえる丸っこい鼻の頭には、陽ざしに明るい縁の障子が白く写っているように見える。前歯の綺麗に残っている口を大きく開けて、わっはっはっと身をもみながら高笑いをする仕草など、どうみても古稀に近い人とは思われず、この若やぎようを家人は奇異の眼ざしで眺めやるのだった。

唐沢製鋼所の社長としての繁忙な地位を、二年前から女婿の横尾氏に譲って、今は気楽な閑居の身でありながら、元来、動きまわることの好きな性分がこの老齢になっても納まらず、朝は従前通り九時きっかりに出社して、午すぎてから戻ってくる。これという用事が待っているわけではなく、ただ、永年の習慣から出社をしてみなくては気がすまないのである。自動車で送られて社長室へ顔をみせ新社長の相談に乗ってやったり、電話を取り次いでやったり、それから社内を一巡して自動車で帰って来る。いわば、この出社は老人にとっては一種の運動のようなものであった。