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こをうばう

子を奪う

豊島 与志雄

「中央公論」1921(大正10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页

青空文庫

」

彼は立ち上って障子を開け、縁側から庭へ下りていった。庭の真中に立って深く息を吸い込んだ。いい気持だった。何もかも、依子も、なるようになるがいいや、そういう気がした。

「いやよ、いやよ、お母ちゃん、いやよ!」と泣き叫ぶ声がした。ふり返ってみると、依子が敏子の胸に縋りついていた。幾代が何か云っていた。敏子はじっと首を垂れていた。兼子がその肩に手をかけていた。

彼は素知らぬ風をして立っていた。暫くすると、皆は庭へ下りてきた。敏子は真直に彼の所へ来て云った。

「依子がどうしても帰しませんものですから……。」

それが彼女が直接自分にかける最後の言葉なのか!……と彼は思った。彼は彼女の顔を見つめた。彼女は頬の筋肉一つ動かさなかった。その厚ぼったい肉の下に、感情は悉く隠れて見えなかった。

「どうかゆっくりなさい。」と彼は云った。

彼女はちらりと彼の眼を見上げて、それから依子の後を追っていった。機嫌を直した依子は、先刻からの麦桿細工の箱を抱えて、幾代と二人で庭の奥へはいり込んでいた。

彼はぼんやり三人の後を見送った。

「あなた!」

ふり向くと、兼子がすぐ眼の前に立っていた。