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あひるとさる

寺田寅彦随筆集 第五巻

寺田 寅彦

寺田寅彦『寺田寅彦随筆集 第五巻』。同一底本的分册已合并为一书。收入:あひると猿、疑問と空想、映画と生理、映画雑感(Ⅲ)、映画雑感(Ⅳ)、災難雑考、三斜晶系、糸車、詩と官能、自由画稿、小浅間、小爆発二件、地図をながめて、天災と国防、日本人の自然観、破片、俳句の型式とその進化、俳句の精神、物売りの声、B教授の死。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 194,515 字 · 389 页

青空文庫

このきたない土瓶からきたない水を湯飲みか何かにくみ出して、それにどっぷりおはぐろ筆を浸す。そうしてその筆の穂を五倍子箱の中の五倍子の粉の中に突っ込んで粉を充分に含ませておいて口中に運ぶ、そうして筆の穂先を右へ左へ毎秒一往復ぐらいの週期で動かしながらまんべんなく歯列の前面を摩擦するのである。何分間ぐらいつづけていたかはっきりした記憶はないがかなり根気よくやっていたようである。妙にぐしゃぐしゃという音をたてて口の中を泡だらけにして、そうしてあの板塀や下見などに塗る渋のような臭気を部屋じゅうに発散しながら、こうした涅歯術を行なっている女の姿は決して美しいものではなかったが、それにもかかわらず、そういう、今日ではもう見られない昔の家庭の習俗の思い出には言い知れぬなつかしさが付随している。この「おはぐろの追憶」には行燈や糸車の幻影がいつでも伴なっており、また必ず夜寒のえんまこおろぎの声が伴奏になっているから妙である。

おはぐろ筆というものも近ごろはめったに見られなくなった過去の夢の国の一景物である。白い柔らかい鶏の羽毛を拇指の頭ぐらいの大きさに束ねてそれに細い篠竹の軸をつけたもので、軸の両端にちょっとした漆の輪がかいてあったような気がする。