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ちいさなできごと
小さな出来事
寺田 寅彦
「中央公論」1920(大正9)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,533 字 · 29 页
そして昨日の簑虫はと思っておおよそこの辺かと思う見当を捜してみたが見付からない。そのうちにずっと高いところの大きな枝に何か動くものがあると思ってよく見ると、それが昨日のあの把柄のついた簑虫であった。ただ意外な事には、昨日生死も分らないように静まり返っていたあの小哲学者とは思われないように活動しているのであった。簑の上端から黒く光った頭が出ていた。それが波を打って動くにつれて紡錘体は一刻みずつ枝の下側に沿うて下りて行った。時々休んで何か捜すような様子をするかと思うとまた急いで下りて行く、とうとう枝の二叉に別れたところまで来ると、そこから別の枝に移って今度は逆に上の方へ向いて彼の不細工な重そうな簑を引きずり引きずり這って行くのであった。把柄のような長い棒がいかにも邪魔そうに見えた。
見ているうちにだんだん滑稽な感じがして来てつい笑わないではいられなくなった。そして昨日K君に書いた端書は訂正しなければならないと思った。昨日の哲学者も今日はやっぱり自分の家を荷厄介に引きずりながら、長過ぎて邪魔な把柄をもて扱いながら、あくせくと歩いていた。いったいどういう目的で歩いているのだろうと考えてみたが、たぶんやはり食うためだろうとしか思われなかった。