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おぐらいけのはす
巨椋池の蓮
和辻 哲郎
「新潮」1950(昭和25)年8月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,016 字 · 12 页
それとともに、蓮の花のみの世界は、壊れざるを得なかった。蓮の花が無限に遠くまで打ち続いているという印象も消えた。そのころに舟は帰路についたのである。
帰路はさんざんであった。舟がまだ池を出はずれない前に、もう朝日が東の山を出たように思う。来る時に見えなかったいろいろな物が、朝日の光に照らし出された。池はだんだん狭くなり、水田と入り組み、いつともなしになくなってしまう。その水田の間の運河に入って、町裏のきたないところを通り、淀川に出る。その間に目に入るものは、すべて、さきほどまでの美しい蓮華の世界の印象を打ちこわすようなものばかりであった。この現実暴露といっていいような帰り道がなかったら、巨椋池の蓮見は完全にすばらしいのだが、と思わずにいられなかった。
宿に帰ったのは七時近くであったと思う。朝飯は、蓮の若葉を刻み込んだ蓮飯であった。
谷川君はこの時には何も言わなかったが、その後何かの機会にマラリヤの話が出て、巨椋池の周囲の地方には昔から「おこり医者」といってマラリヤの療法のうまい医者があることを聞かせてくれた。巨椋池にはそれほどマラリヤの蚊が多いのである。