轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

ていてんをみざるのき

帝展を見ざるの記

寺田 寅彦

「中央美術」1920(大正9)年11月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,664 字 · 16 页

青空文庫

この疑問に答える前には先ず分光器それ自身の検査が必要になる。

批評の態度には色々ある。批評家自身の芸術観から編み上げた至美至高の理想を詳細に且つ熱烈に叙述した後に、結論としてただ一言「それ故にこれらの眼前の作品は一つも物になっていない」と断定するのもある。そういうのも面白いが、あまり抽象的で従って何時の世のどの展覧会にでも通用する批評である。先ず普通は眼前の作品を与えられた具体的の被与件として肯定してから相対的の批評で市が栄えるとしたものであろう。

芸術の技巧に関する伝統が尊重された時代には、芸術の批評権といったようなものは主に芸術家自身か、さもなくば博学な美術考証家の手に保存されて、吾々素人は何か云いたくなる腹の虫を叱り付けていなければならなかった。ところが何時の間にか伝統の縄張りが朽ちて跡方もなくなって、普通選挙の広い野原が解放されてしまった。これはいい事だか悪い事だか見当が付かないが、ともかくもどうする事も出来ない事実である。

そうなると、批評というものの意味はもう昔とは大分違ったものになってしまう。民衆批評家は作品の客観的価値よりはむしろ自分の眼の批評をするのであり自分の要求を自白する、だから、自分さえ構わなければ何を云っても構わないと同時に、被批評者は何を云われても別に自分の信条に衝動を感じる