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おびひろまで

帯広まで

林 芙美子

「文藝春秋」1936(昭和11)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,656 字 · 28 页

青空文庫

と叱った。九太の新しい細君はまさ子と云った。六つになる三郎と云う連れ子があった。

「私の名で電話をかけても出てくれないじゃないの、何さ、四拾円くれたと思って威張ってるのね……」

九太は黙っていた。話と云うのはそれだけかなと云いたそうな冷たい眼をしていた。伊代にとっては取りつくしまがなかった。枕元の塵紙の上には紫色に腫れたような桃の食いかけが果汁を滴たらせて置いてあった。九太は立ちあがると、押入れの前へ行って、「俺の洋傘を貰っていゝかい?」と云った。伊代は黙って返事もしなかった。「こんなかだったかね?」と云って九太が押入れへ手を掛けようとすると伊代は、「雨傘の一本位買ったらいゝじゃないのッ」と厳しく叫んだ。

「よし! じゃア買うことにしよう」

くるりと九太が振り返って、みしみしと湿った畳を踏んで梯子段の方へ行きかけると、伊代は子供のように泣き声をあげながら押入れを開けた。伊代に、一切未練のなくなっている九太に、傘をほしいとせびられると、せめて伊代はその雨傘にでも縋って九太の心を掴みたいのであった。

「持って行きたいのなら持って行ったらいゝじゃないのッ、私が持ってたって邪魔になるばかしだから……」