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まぼろしのかなた
幻の彼方
豊島 与志雄
「中央公論」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页
「苦しい?」
彼女は何とも答えないで、彼の顔をじっと見返した。かすかに微笑を浮べようとしてるらしいのが、筋肉が引きつって泣顔になっていた。
産婆がしきりに秋子を慰めてくれた。しまいにその言葉が途切れると、順造は俄に不安な恐怖に襲われた。室の隅に押しやられてる子供の方へ行った。その寝顔を見て、また秋子の方へ戻ってきた。
女中が帰ってくると、牛乳は産婆が調合して、それから子供に飲ましてくれた。秋子の盲乳によりも一層安々と、護謨の乳首に吸いついて、咽せるほど吸っている子供の様子を、順造は涙ぐましい心地で眺めた。秋子も首を伸して、その方を眺めていた。
産婆は十一時が打つと帰っていった。それを送って門口まで出た時、順造は急に夜気の冷たさを感じた。空を仰いで冴えた星の光を見ると、秋も更けたという気がした。彼は室に戻って、思い出したように火鉢に炭をどっさりつぎ、水を入れた洗面器をかけて湯気を立てた。
秋子と順一との間に床を取らせようとすると、秋子は自分を真中にしてくれと云った。彼は女中と二人で秋子の床を室の真中に引張った。その後に自分の布団を敷かした。いつでも起き上れるように、着物のまま布団にはいった。