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まぼろしのかなた
幻の彼方
豊島 与志雄
「中央公論」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页
岩田帯の代りに温湿布がぐるぐる巻いてあった。其処を叩いたら、姙娠の時と同じ音がしそうだった。
順造は眼を外らした。
「もう寝たらどうだい。」
「そうね。」
彼女はおとなしく順造の言葉に従った。看護婦に手伝わして横になろうとする時、眼を見張り、頬を脹らませ、唇をきっと結んで、さし招くような手付をした。ぐ……ぐ……という音が喉から僅かに洩れて、その度にぴくりぴくりと肩を震わし、見張った眼と差出した手先とで、早く早くと云っていた。順造には何のことやら分らなかった。が咄嗟に看護婦が痰吐を差出すと、それにかじりついてげぶりと吐いた。腐爛した悪臭がぷんと立った。順一が生れた当時口ににじませたのと同じ色をした、どろどろの液体で、痰吐の半分以上もあった。秋子はそのまま、枕の上にがっくりとなった。
それからは、容態が目立って悪くなった。腹痛が襲ってくると、彼女はもう身体を引緊めるだけの力もないかのように、だらりと四肢を投げ出しながら、痛みに身を任せて、顔だけをくしゃくしゃに渋めた。下痢の回数が増し、嘔吐が日に一二回あった。何れもひどい悪臭の液体だった。腹が益々膨脹してきた。