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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

九度五分前後の熱が続き、脈が百十近くにのぼった。腹痛の合間には、嗜眠に近い状態でうとうとしていた。坪井医学士は、診察を済すとただ黙って帰って行った。看護婦にドイツ語で一二言囁くこともあった。

順造はもう何にも尋ねなかった。順一と秋子との間を往き来した。看護婦は二人共悪くなかった。一人は、てきぱきした言葉使いをする、眼付のしっかりした大柄な女だった。一人は、言葉に多少訛りのある、内気な静かな女だった。彼女等は秋子と順一とに交代についていた。順一の方にくると、順一が眠ってる間は一緒に眠った。

順造は、昼間は精がつきたように、じっとしてるとすぐにうつらうつらした。夜になると頭のしんが張りきって眠れなかった。女中を早くから寝かして、看護婦と一緒に遅くまで、秋子の側についていた。

不吉な幻が浮んできた。

前年の夏、彼等は大きな硝子の容器に、金魚を二三匹飼ったことがあった。その一匹が死にかかった。美しい竜金だった。逆様になって、大きな腹を水面に浮べながら、いつまでもぱくぱくやっていた。洗面器に塩水を拵えて一昼夜ばかり入れて置くと、片泳ぎが出来るくらいに元気になった。