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じょにかえてじんせいかんじょうのしぜんしゅぎをろんず

序に代えて人生観上の自然主義を論ず

島村 抱月

「近代文芸之研究」1909(明治42)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,453 字 · 11 页

青空文庫

つまり名といい、利といい、身といい、家という、無形、有形、単純、複雑の別はあっても、詮ずるところ自己の生という中心意義を離れては、道徳も最後の一石に徹しない。直観道学はそれを打ち消して利己以上の発足点を説こうけれども、自分らの知識は、どうも右の事実を否定するに忍びない。かえって否定するものの心事が疑われてならない。(衆生済度の方便なら構わないが)傍に千万巻の経典を積んでも、自分の知識は「道徳の底に自己あり」という一言でこれを斥ける勇気を持っている。而してこの知識が私をして普通道徳の前に諦めをつけさせる、しかたがないと思わせる。それ以上、自分に取っては普通道徳は何ら崇高の意義をも有しない。一種の方便経に過ぎない。

まだ一つある。私はむしろ情負けをする性質である。先方の事情にすぐ安値な同情を寄せて、気の毒だ、かわいそうだと思う。それが動機で普通道徳の道を歩んでいる場合も多い。そしてこれが本当の道徳だとも思った。しかしだんだん種々の世故に遭遇するとともに、翻って考えると、その同情も、あらゆる意味で自分に近いものだけ濃厚になるのがたしかな事実である。して見るとこれもあまり大きなことは言えなくなる。