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かれはむかしのかれならず

彼は昔の彼ならず

太宰 治

「世紀」1934(昭和9)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,274 字 · 57 页

青空文庫

」

僕は思わず笑わされた。

「いや、ほんとうですよ。かなわないので、こんなに髪を短くしたり、さまざまこれで苦心をしたのですよ。でも、きょうはよくおいでくださいました。」黒ずんでいる唇をおどけものらしくちょっと尖らせて、コップのビイルをほとんど一息に呑んでしまった。

「ずっとこっちにいたのですか。」僕は唇にあてたビイルのコップを下へ置いた。コップの中には蚋に似た小さい虫が一匹浮いて、泡のうえでしきりにもがいていた。

「ええ。」青扇は卓に両肘をついてコップを眼の高さまでささげ、噴きあがるビイルの泡をぼんやり眺めながら余念なさそうに言った。「ほかに行くところもないのですものねえ。」

「ああ。お土産を持って来ましたよ。」

「ありがとう。」

何か考えているらしく、僕の差しだす干物には眼もくれず、やはり自分のコップをすかして見ていた。眼が坐っていた。もう酔っているらしいのである。僕は、小指のさきで泡のうえの虫を掬いあげてから、だまってごくごく呑みほした。

「貧すれば貪すという言葉がありますねえ。」青扇はねちねちした調子で言いだした。「まったくだと思いますよ。清貧なんてあるものか。