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あるおんな
或る女
有島 武郎
2(後編)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,655 字 · 406 页
四〇
もうたそがれ時で、電灯がともって、その周囲におびただしく杉森の中から小さな羽虫が集まってうるさく飛び回り、やぶ蚊がすさまじく鳴きたてて軒先に蚊柱を立てているころだった。しばらく目で来た倉地が、張り出しの葉子の部屋で酒を飲んでいた。葉子はやせ細った肩を単衣物の下にとがらして、神経的に襟をぐっとかき合わせて、きちんと膳のそばにすわって、華車な団扇で酒の香に寄りたかって来る蚊を追い払っていた。二人の間にはもう元のように滾々と泉のごとくわき出る話題はなかった。たまに話が少しはずんだと思うと、どちらかに差しさわるような言葉が飛び出して、ぷつんと会話を杜絶やしてしまった。
「貞ちゃんやっぱり駄々をこねるか」
一口酒を飲んで、ため息をつくように庭のほうに向いて気を吐いた倉地は、自分で気分を引き立てながら思い出したように葉子のほうを向いてこう尋ねた。
「えゝ、しようがなくなっちまいました。この四五日ったらことさらひどいんですから」
「そうした時期もあるんだろう。まあたんといびらないで置くがいいよ」
「わたし時々ほんとうに死にたくなっちまいます」
葉子は途轍もなく貞世のうわさとは縁もゆかりもないこんなひょんな事をいった。