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あるおとこのしゅき

或る男の手記

豊島 与志雄

「中央公論」1924(大正13)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 43,279 字 · 86 页

青空文庫

光子を平気で井ノ頭まで連れ出したのも、右のような持論を持ってるからだった。所が、光子からああいう話を聞き、次に自由奔放な彼女の魂を見、最後に家庭なんかの煩いを離れた伸々とした気持になって、私の心の中には別なものが頭をもたげてきた。それが更に、酒を飲んでるうちに光子の眼付から度々そそられた。そして、前にはただ「何だかごたごたして」とだけ書いたが、このごたごたのうちに私は意を決したのである。前日来のことで絶望して苛立ってる奔放な光子を見、その挑みかかるような眼付を見て――だが彼女がどういう心持だったかは私にはよく分らない、彼女自身にも恐らく分っていないだろう、実際その場の空気はごたごたしていたから……でもその間に、私は彼女を対象として自分をためしてみようと思ったのである。そしてそれは、性慾を蔑視する平素の持論にも矛盾しなかった。

そういう風にして凡ての調子が狂っていった。光子も私の気持を無意識的に感じて、更に絶望的に苛立っていったらしい。

呪わしい一夜だった。

私達は飯も食べずに、七時頃その家を飛び出した。朝靄が靉いて、地面はしっとりと露に濡れていた。