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あるおとこのしゅき
或る男の手記
豊島 与志雄
「中央公論」1924(大正13)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 43,279 字 · 86 页
「そうです、」と彼は云った、「私はあなたをこのままでは済ませないと思っていましたが、もうそんなことはどうでもいいような気がしてきました。馬鹿げきったことです。」
私は俄にかっとなって、顔を真赤にした……と思うだけでなおかっとなって、大きな声を立てた。「帰り給え。もう出ていってくれたまえ。」
「ええ帰ります。」
彼は飛び上るように立ち上って、室から出て行った。その力強い足音が階段に消え去ると、私は急に気力がぬけはてたようになって、机の上にもたれかかった。そして暫く惘然としているうちに、全く無用な自分自身を見出した、と同時に、或る広々とした所へぬけ出した気がした。
それは一寸名状し難い気持だった。世界が俄に晴々としてきて、自分自身が遠くへ薄らいでいって、何もかもどうでもよくなった。松本がどうしようと、光子がどうしようと、俊子がどうしようと、私がどうしようと、生きようと死のうと、どうでもよくなった。死ぬことだって自由だ。そして私は死へ微笑みかけていった。
一時間ばかりして俊子と顔を合した時、彼女は私を睥み据えた。
「あの女の手紙を御覧になりましたか。」
「ああ見たよ。