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りゃくだつせられたるおとこ

掠奪せられたる男

豊島 与志雄

「新潮 第二十九卷第三號」新潮社、1918(大正7)年9月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,398 字 · 48 页

青空文庫

然しそれは単なる酒の上の戯談ばかりではなかった。欧州大戦争の影響として凡ての経済状態が根本から覆った余波を受けて、米価も奔騰し、政府の干渉にも拘らず、先物三十円を突破する乱調な相場を来した。そして実際下層の市民は饑えつつあった。闇黙の間に、彼等のうちには何物とも知れぬ反抗の気勢が醸されつつあった。山田は漠然とそれを感じた。然し、秀子の笑顔は忽ちにして彼の脳裏から凡てを抹殺し去った。彼の頭にはただ先刻の秀子のヒステリックな笑いがその底にこびりついた。そして彼はもう自ら抑えることが出来なかった。ぐぐぐという痴呆的な笑いが彼の胸からこみ上げて来た。そして彼は歯をくいしばった。

秀子は喫驚したように眼を見張って彼を顧みたが、つとその手を取って握りしめてやった。「どうしたの。お馬鹿さんだわね。」と彼女は云った。

その言葉と彼女の柔い掌とを感ずると、山田は急に我に返った。彼は首を垂れて、溺れる者のように秀子の手に縋りついた。

山田はもはやただ喘いでいる野獣に過ぎなかった。而も極端に従順なる野獣に。あの夜受けた獣性の痛手は、それが最初でまた最後であっただけに、益々深く彼のうちに喰い込んでいった。