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ほうろうき(しょしゅつ)

放浪記(初出)

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 103,349 字 · 207 页

青空文庫

一寸頭を上げると円い窓の向うに大きな波のしぶきが飛んでいる。

今朝の美しい機関士も、ビスケットをポリポリかみながら一寸覗いて通る。私は恥かしいので、寝たふりをして顔をふせていた。

ジュンジュン肉を焼く油の匂いがする。

「私はね、外国航路の厨夫なんですが、一度東京の震災も見度いと思いましてね、一と船休んで、こっちに連れて来て貰ったんですよ。」

大変丁寧な物云いをする人である。

私は高い寝台の上から、足をぶらさげて、御馳走を食べた。

「後でないしょでアイスクリームを製ってあげますよ。」

真実、この人は好人物らしい。神戸に家があって、九人の子持ちだとこぼしていた。

船に灯がはいると、今晩は皆船底に集ってお酒盛りだと云う。

料理人の人達はてんてこ舞いで急がしい。

私は灯を消して、窓から河のように流れ込む潮風を吸っていた。

フッと私は、私の足先きに、生あたゝかい人肌を感じた。

人の手だ!

私は枕元のスイッチを捻った。

鉄色の大きな手が、カーテンに引っこんで行くところである。

妙に体がガチガチふるえる。どうなるものか、私は大きなセキをした。

カーテンの外に呶鳴っている料理人の声がする。