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はるのしゅぜんじ

春の修善寺

岡本 綺堂

「読売新聞」1918(大正7)年1月27日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,749 字 · 8 页

青空文庫

に見えたのが、今もありありと私の眼に残っている。ところが、今度かさねて来てみると、堂はいつの間には取払われてしまって、懐しい紫の色はもう尋ねるよすがもなかった。なんの掩いをも有たない古い墓は、新しい大きい石の柱に囲まれていた。色々の新しい建物が丘の中腹まで犇々と押つめて来て、そのなかには遊芸稽古所などという看板も見えた。

頼家公の墳墓の領域がだんだんと狭まってゆくのは、町がだんだんに繁昌してゆくしるしである。むらさきの古い色を懐しがる私は、町の運命になんの交渉も有たない、一個の旅人に過ぎない。十年前にくらべると、町は著るしく賑やかになった。多くの旅館は新築をしたのもある。建増しをしたのもある。温泉倶楽部も出来た、劇場も出来た。こうして年ごとに発展してゆくこの町のまん中にさまよって、むかしの紫を偲んでいる一個の貧しい旅人のあることを、町の人たちは決して眼にも留めないであろう。わたしは冷い墓と向い合ってしばらく黙って立っていた。

それでも墓のまえには三束の線香が供えられて、その消えかかった灰が霜柱のあつい土の上に薄白くこぼれていた。日あたりが悪いので、黒い落葉がそこらに凍り着いていた。