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ばんきく

晩菊

林 芙美子

「別冊文藝春秋」文藝春秋、1948(昭和23)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,998 字 · 32 页

青空文庫

しっかりしたあごの線が意志の強さを現わしている。さっき見た唖の女中の水々しい若さが妙に瞼にだぶって来た。美しい女ではないが、若いと云う事が、女に眼の肥えて来た田部には新鮮であった。なまじ、この出逢いが始めてならば、こうしたもどかしさもないのではないかと、田部は、さっきよりも疲れの見えて来たきんの顔に老いを感じる。きんは何かを察したのか、さっと立ちあがって、隣室に行くと、鏡台の前に行き、ホルモンの注射器を取って、ずぶりと腕に射した。肌を脱脂綿できつくこすりながら、鏡のなかをのぞいて、パフで鼻の上をおさえた。色めきたつ思いのない男女が、こうしたつまらない出逢いをしていると云う事に、きんは口惜しくなって来て、思いがけもしない通り魔のような涙を瞼に浮べた。板谷だったら、膝に泣き伏すことも出来る。甘えることも出来る。長火鉢の前にいる田部が、好きなのかきらいなのか少しも判らないのだ。帰って貰いたくもあり、もう少し、何かを相手の心に残したい焦りもある。田部の眼は、自分と別れて以来、沢山の女を見て来ているのだ。厠へ立って、帰り、女中部屋を一寸のぞくと、きぬは、新聞紙の型紙をつくって、洋裁の勉強を一生懸命にしていた。