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つきかげ

月かげ

豊島 与志雄

「婦人公論」1924(大正13)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,867 字 · 14 页

青空文庫

彼は一人ぽつねんとしており、私の所へももう誰もやって来ず、四人の女達は向うの隅にかたまって、何かひそひそ囁き合っていた。この方が却って静かでいい、と私は思いながら、一人でちびりちびりと酒を飲み、酔った眼付をぼんやり空に据えて、時間過ぎのカフェーの暮春の夜の静けさに、うっとりと心で微笑みかけていた。と、驚いたことには、向うの男が、やはり酔眼を空に据えながら、にこにこ独り笑いをしてるのだった。

その時、私は初めて思い出した。彼とはそのカフェー以外に、撞球場で一度出逢って、幾回かゲームを争ったことがあった。彼は私よりだいぶ上手だったが、私の方が勝がこんだ。それでも彼は、勝ち負けに関せずゲームになると ただにやにや笑っていた。人を馬鹿にしてるのか、或は全く虚心平気なのか、或は少し呆けてるのか、黙ってにやにや独り笑いをしながら、球を並べ直すのだった。その余りに無感情な中性的な笑いに、私はしまいには腹を立てて、彼との勝負を止してしまった。

その時のと、感じは違うが性質は似寄ってる笑いだった。私がじっと眺めてるのを知ってか知らずにか、彼はやはりにこにこ独り笑いをして、うっとりと空を見つめていた。