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あさかのみやでんかにじしてみなみアルプスのたび

朝香宮殿下に侍して南アルプスの旅

木暮 理太郎

「中学生」1923(大正12)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,765 字 · 26 页

青空文庫

農鳥岳を踰ゆ

再び飛び立った鳩は空中に大円を描いて、次第に高く舞い上りながら南へ南へとそれ、燕のように小さくなった体を暫く天空に見せていたが、終に雲中に没してしまった。こんな山の中では鳩は河筋に沿うて平地に出で、それから道を覓めて飛び帰るものだそうである。「日本アルプスのような山地では、初めての試みではあり、あの鳩は少しも訓練してないのだから、或は失敗かも知れない」と伊東中尉は話された。けれども此鳩は二十時間を過ぎた翌二十三日の午前八時十分に、中野に着いたそうである。其後各所から放った六羽の鳩も、一羽残らず帰ったそうであるが、今回の分と最後に駒ヶ岳の頂上から放った二羽との外は、如何した訳か信書管を紛失していたそうである。

農鳥岳を踰ゆ

大蓬沢は冷い水が滝のようにトットと落ちて、雪の隧道に奔注していた。夫を右に見て大門沢の雪渓を尚も伝わっていく。間もなく雪は尽きて、水の無い谷はガラガラした崩れ岩が危く段をなして積み重なっている。目指す白峰山脈の大尾根は、二、三の赭い崖を行手に見せて、手が届く程の距離ではあるが、未だ二時間は懸るものと見なければなるまい。勾配の急峻な岩の襞には、小岩鏡、珍車、白山一華などの花が可憐な姿を見せているものの、岩が脆いので、足の運びが悪いと忽ち岩角が崩れて、少しも油断がならない。