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もくせいのはな

木犀の花

永井 荷風

「中央公論 第六十二年第十号」中央公論社、1947(昭和22)年10月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,799 字 · 8 页

青空文庫

むかし互に君僕で話し合った人達の中で、今猶記憶に存するものを挙げると、その第一は文学博士深田康算である。博士は中学に在った頃から儕輩に推された秀才で、外国語の成績は殊に優れていた。その頃は大川端新大橋の近くに家があった。大学に進んでから、ケーベル先生の家に寄寓して親しくその教を受けたことは学者の間に知られている話である。この人も既に生きてはいない。

大学を出ると直に、その頃は専門学校と称した早稲田大学に招聘せられて哲学を講じた文学博士波多野精一氏もまたわたくしとは中学を同じくした人である。

折々政界に波瀾の起る時大臣になられる松本烝治氏とも、わたくしは爾汝の友として巴里に再会し、帰朝後は慶応義塾の教員室で三たび邂逅して、偶然の会談に興を催したことがあった。

八田嘉明氏の名も、わたくしは満洲事変の際新聞紙上にこれを見て、お茶ノ水のむかしを思返したのである。

一ツ橋とお茶ノ水の学校で、わたくしが机を並べた人達は、成業の後、皆と云ってもよいほど各志す道の要処に立ち、国家と社会とに貢献するところがあった。所謂竹帛に名を垂るる人々である。これに反して、若しその然らざるものの誰なるかを挙げたなら、それは文藝の邪道に走った深川夜烏とわたくしの二人があるのみであろう。