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もくせいのはな
木犀の花
永井 荷風
「中央公論 第六十二年第十号」中央公論社、1947(昭和22)年10月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,799 字 · 8 页
木犀の花がさくのは中秋十五夜の月を見るころである。
甘いような、なつかしいような、そして又身に沁むような淋しい心持のする匂いである。
わたくしはこの花の香をかぐと、今だに尋常中学校を卒業したころの事を思出す。
わたくしの学んだ中学校はわたくしの卒業する前の年まで神田一ツ橋に在った。道路を隔てて高等商業学校の裏手に面していた。維新前には護持院ヶ原と言われたところで、商業学校の構内には昔を思わせる松の大木がところどころに立っていた。
わたくしがこの中学校に入って、黒い毛糸の総をつけた三角形の制帽をかぶり、小石川の家から通学しはじめたのは、後年まで人の記憶している神田の大火事のあった頃である。年代ははっきり覚えていないが、帝国議会が創設されてから二三年たった頃であろう。わたくしは神田錦町に在った私立英語学校から転校したのである。在学中、一度は数学ができなかった為、一度は病気で長く休んでいた為落第した。その後どうやら最上級に進んだ年の春、わたくしの中学はお茶ノ水に在った其本校なる高等師範学校の構内に移った。孔子を祀った大成殿と隣接したあたりに木犀の古木が多く茂っていたのである。