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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
文明八年の八月十九日の条に、この晩肖柏が来て『源氏物語』「夢浮橋」の巻を書写してくれと懇望したとある。あるいは肖柏の手引きによって、実隆は宗祇と近づきになったのかとも思われる。宗祇に関する記事の始めて日記に出ているのは、文明九年七月宗祇の草庵において『源氏』第二巻の講釈があって、実隆が連日これを聴聞した記事である。こののち文明十七年まで宗祇から『源氏』の講釈を聞く話はない。日記にも闕漏はあるが。それのみならず宗祇がその地方遊歴のために、講義を開く折がなかったからでもあろう。文明十七年の閏三月の下旬、五十四帖書写の功成ったというので、その晩宗祇と肖柏とが、実隆の邸に来り、歌道の清談に耽りつつ、暮れ行く春を惜んだとのことである。この写本が出来てからして、『源氏』の講釈はまた開講せられたが、このたびは宗祇の種玉庵においてではなく、実隆の邸において催されたのである。宗祇は宗観、宗作、または玄清等の同宿をかわるがわる連れてきた。肖柏もまたおりおりこれに同伴した。聴手としては、主人公の実隆のほか、滋野井、姉小路等の諸公卿の来会することもあった。宗祇の見えぬ時には、肖柏がこれにかわって講釈をしたが、先ず三度に一度は肖柏の代講という有様であった。