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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
三条西家は公卿の中で、決して低い階級に属すべきものではなかったけれど、さりとて九条家と並ぶべき家ではない。しからば実隆の娘保子が九条尚経に嫁したのは、異数の例であるかというに、それはそうでなく、九条家の家長または家長たるべき人の正妻は、多くこの程度の家から嫁入っている。されば三条西家から娶ったとて、九条家の格例を破ったのではないが、嫁にやった三条西家にとりては名誉のことだ。しかるに保子が尚経に嫁したのは明応四年(一四九五年)のことであるに、実隆の方から遠慮してほとんど九条家に出入しなかった。これは実に九条家に対する遠慮もあるほかに、別の事情があったのだ。というのは保子の嫁入した翌年の正月早々に、九条家においてその家礼すなわち執事の役をしておった唐橋大内記在数が殺害された事件があったからであろう。そもそも二重の服従関係ということは階級制度の行なわれた時代に往々あることで西洋にも珍しからぬが日本にも多々あった。大小を論せず、諸侯たる資格においては同等でありながら、小諸侯は大諸侯に対してほとんど主従のような関係を結ぶなどはその一例である。徳川時代には幕府の勢力はなはだ旺盛で、諸侯の間にかかる関係の生ずるのを禁遏しておったけれど、それでもこの種のことが絶無であったとはいえない。