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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
実隆の室家は前にも述べたとおり、勧修寺贈左大臣教秀の三女である。さればこの教秀が伝奏を勤めておったということが、実隆と幕府とを結び付ける有力な原因をもなしたのかも知れぬ。しかるにこの教秀は役儀がら幕府に接近したのみではなく、それよりも密接な関係を皇室に結んでおったのである。というのはこの教秀の二女に房子というのがあって、これは後土御門院の後宮に召し出された。いわゆる三位局というのがすなわちこの房子で、大慈院宮と呼ばれた皇子、安禅寺宮と称せられた皇女、共にその出である。この三位局の誘引で、三条西家の奥向きの人々が、賀茂の山に躑躅歴覧のため出かけたことなどが実隆の日記に見えている。三位局は実隆の室の姉に当るのであるが、外にまだ一人の妹がある。これは藤子というので、後柏原天皇の後宮に召され、後奈良天皇および尼宮大聖寺殿の御生母であって、准三后、豊楽門院というのがすなわちそれだ。かくのごとく実隆がその室家の縁からして、二代の天皇と特別の関係があったのであるからして、したがって侍従をも久しく勤めることになったのであろう。実隆がその女を九条家へ嫁し得たのも、あるいはかかる事情が助けたのではあるまいか。