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とうようぶんかしにおけるぶっきょうのちい
東洋文化史における仏教の地位
高楠 順次郎
外務省文化事業部に於ける講演、1930(昭和5)年2月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,830 字 · 69 页
「時なる哉、時なる哉、時至れり」といって踊り出した。これもインド人であったに相違ない。行基は両人を聖武天皇にご紹介するという訳で、聖武天皇も非常に満足であった。これは大仏を作って開眼供養にインド人を招くということが聖武天皇の思召でインド人を迎える内命を持った留学生がシナに出張しておったものと信ぜられます。五台山に登っても日本に来るように計らい、楊州に行っても日本人に会するように聖武天皇のお手が延びておったのだろうと思います。
それでバラモン僧正が来ると直ぐ僧正に任ぜられて、時服を賜い荘田を与えられて大安寺に寓せしめられた。大仏が立つ時になると、バラモン僧正は開眼供養の大導師を命ぜられ、臨邑の仏哲に大音楽師として楽隊の長とならしめられた。そして開眼供養を行われる。東大寺の開基というのは聖武天皇とバラモン僧正、行基。行基は建った時には死んでおりますから、開眼供養には臨まなかったのですが、これも開山に加えられている。それからいま一人は行基の弟子で一番偉い良弁僧正、この四人が開基になっている。そういうふうに非常に用いられて、バラモン僧正は大安寺で、仏哲と同住して音楽を教え、梵語を教えた。